スポーツ関連のニュースを中心に書いています。独自の視点、考察等も書いていこうと思います。ジャンルは野球やサッカーが中心になりますが、出来るだけ多くのジャンルを扱います。
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名捕手にして名監督 野村克也氏死去 他
category: プロ野球 | author: GT−40X
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    JUGEMテーマ:プロ野球全般

     

     キャンプインから10日ほど経ちましたが、各チームはそれぞれのキャンプ地で順調にメニューを消化しているようです。そんな中、一人の偉大な野球人がお亡くなりになりました。今回はこの話題の他に日本球界の話題を振り返っていきます。


    背水の藤浪晋太郎投手&斎藤佑樹投手 復活できるか

     

     2/9に行われた阪神と日本ハムとの練習試合に、阪神の藤浪晋太郎投手と日本ハムの斎藤佑樹投手が先発し、それぞれ好投を見せました。

     

     共に甲子園の優勝投手で期待されてプロ入りしましたが、ここ数年は結果を出すことができず今季は背水の陣と言えます。この試合では藤浪投手は2回を投げて2四球は出したものの無安打無失点の内容。課題の制球も安定しておりストレートは最高157劼魑録しました。一方の斎藤投手も2回を1安打無失点で4奪三振をマークしました。緩急をうまく使った投球が光りました。

     

     ここ数年は期待を裏切り続けてきた両投手は今回の試合では主力が少なかった中とは言えまずは復活への第一歩を順調に踏み出しました。まずはしっかりと開幕1軍を勝ち取り、1軍の舞台へと立つことが当面の目標です。そして周囲を見返すような活躍を見せてくれることを期待したいと思います。

     


    王貞治ソフトバンク球団会長 16球団構想に賛成

     

     日本プロ野球のエクスパンション問題で福岡ソフトバンクホークスの球団会長を務める王貞治氏が地元の福岡の新春特別番組で「野球界のためには、球団数は現在の12よりも16が望ましい」と発言し注目されました。

     

     過去に2014年に自由民主党から成長戦略の一環としてNPBの12球団から16球団への拡張の構想が提言されました。この時は球団の母体となる企業が集まらず、プロ野球側も否定的であったため立ち消えとなりました。しかし、ここ数年、ZOZOTOWNの創業者の前澤友作氏がをプロ野球球団を持ちたいと自身のSNSで発言したり、沖縄で将来のNPB加盟を目指す構想を持った「琉球ブルーオーシャンズ」立ち上げられるなどの動きもあります。

     

     王会長も球団が少しでも多いほうがいいとの考えで、少子化で野球人口の減少の中でNPBの拡大によって受け皿が強化を図ることによって球界の発展へとつながるとの考えや、現行の賛否両論のCSの方式も球団拡張に伴い見直して整合性を図れるとしています。

     

     あとは現在空白地域となっている北信越や四国等に球団を作ることにより、その地域の野球人気の盛り上がりの一助となるとの考えです。かつて空白地域であった、北海道や東北、九州に移転もしくは新球団が出来てそれぞれ成功を収めていることもこの考え方の後押しとなっています。個人的にも球団拡張は賛成です。空白地域で新球団の受け皿となるポテンシャルを持った地方都市は日本にまだまだ存在します。球団の母体となる企業探しと都市の選定など難しい問題はありますが、今後のためにもNPBには是非積極的に取り組んでほしいところです。

     

     球界に重きをなすビッグネームの発言ということで今回の王会長の発言は大いに注目されています。この構想に向けて解決しないといけない課題は多く、まだ具体的な話はない状態ですが今後実現することを願いたいものです。

     


    イチロー氏 学生野球資格回復

     

     日本学生野球協会の資格審査委員会が2/7に行われ、学生野球資格回復者が公示されました。今回の公示では94名が資格回復しましたが、その中にはシアトル・マリナーズの会長付特別補佐兼インストラクターのイチロー氏も本名の鈴木一朗の名で資格回復されました。そのほか、前田智徳氏や森繁和氏らも公示されました。

     

     本来ならば球団に所属していないことが条件となりますが、イチロー氏が選手の獲得に携わる携わる立場にないことと球界にて偉大な足跡を残したこと等が考慮されオフシーズン限定でということで例外的に認められることになりました。今後はオフシーズンに学生相手に指導が可能となります。まもなくマリナーズのスプリングトレーニングが始まりますので、学生の指導は来オフ以降となりそうですが、今後どのように学生野球にイチロー氏が関わっていくのか注目したいところです。

     


    名捕手にして名監督 野村克也氏 死去

     

     2/11に元南海ホークス等で捕手として活躍し、引退後は監督としてヤクルトスワローズ等で采配を振るった野村克也氏が未明に病院に運ばれ亡くなられました。享年84歳。死因は虚血性心不全とのことです。

     

     京都府の網野町(現在の京丹後市)出身で1954年にテスト生で南海ホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス)に入団。3年目で正捕手の座を手にし、その後は強打の捕手として活躍。本塁打王などの多くのタイトルを獲得し、1965年には戦後初となる三冠王に輝きました。通算安打数、本塁打、打点はNPB歴代2位の記録を持っています。

     

     1969年からはプレイングマネージャーとして監督も兼任することになりました。その後はロッテ、西武でもプレーし1980年で現役引退。その後は野球解説者として活躍しました。解説では「ノムラスコープ」を使った解説が評判となりました。1989年に野球殿堂入りを果たしています。

     

     そして1989年オフにヤクルトスワローズの監督に就任。「ID野球」を掲げチームの強化を図り、古田敦也氏ら優秀な選手を育成して1992年にセ・リーグ優勝を果たします。その後翌年も連覇を果たし日本シリーズで西武ライオンズを破って日本一に輝きます。1998年に退任するまで計3度日本一に導き名将の評価を得ました。その後阪神タイガースと東北楽天ゴールデンイーグルスの監督も歴任。監督として通算1500勝も達成しています。その深い野球理論は多くの選手に影響を与え、現在野村氏の教えを受けたかつての教え子たちは今も選手や指導者として球界で数多く活躍中です。また選手時代や監督時代に「月見草」などの数多くの名言を残したことでも知られます。

     

     あまりに偉大で現在の日本球界に大きな足跡を残し、プレーだけでなくその考え方や理論等で球界の発展に大きく貢献しました。独特の話術と経験に裏打ちされた野球理論で数多くのファンを楽しませてくれました。野村克也氏のご冥福をお祈りいたします。

     


     

     まだまだ落ち着かない日々が続いており、毎日更新とはいきませんが徐々にペースを上げていきたいと思います。今回の記事はここまでと致します。

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