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イチロー氏を振り返る .廛軻り〜雌伏の時
category: プロ野球 | author: GT−40X
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    JUGEMテーマ:プロ野球全般

     

     新型コロナウイルスの世界的な感染拡大で様々なスポーツイベントは中止に追い込まれています。当ブログも更新が滞っている状況です。そこでこの機会に過去の選手等を振り返る記事を書いてみたいと思います。まずは丁度1年程前に現役引退したあのレジェンド・イチロー氏を何回かにわたって取り上げていきたいと思います。今回はその第1回目となります。

     イチローこと鈴木一朗氏は愛知の名門・愛工大名電高校出身です。この高校のOBとしてはプロ通算224勝をあげた工藤公康氏(現福岡ソフトバンクホークス監督)やセ・パ両リーグで本塁打王に輝いた山崎武司氏らがいます。

     

     高校時代のイチロー氏は特に大きな印象は残っていません。甲子園にも2度出場しましたがいずれも1回戦敗退でイチロー氏自身も活躍したとはいいがたい成績でした。3年時にはエースとして春の甲子園のマウンドにも上っています。3年時の地方大会では7割を超える打率をマークし、この頃から才能の片鱗を見せていました。

     

     イチロー氏自身は地元である中日ドラゴンズの大ファンで、中日への入団を希望していたようです。中日のスカウト陣も高く評価していたようですが、あくまで投手としての評価でドラフト上位の評価ではなかったようです。そして当時オリックスブルーウェーブの東海地区担当のスカウトであった三輪田勝利氏はイチロー氏の野手としての能力を高く評価していました。ただチーム事情から上位の指名は出来ず、獲得できるかどうかは中日他の指名状況次第となっていました。

     

     そして迎えた運命の1991年ドラフト会議でオリックスは4位で指名することに成功し、イチロー氏はオリックスに入団することになります。新人当時のイチロー氏はその頃から目を引く存在だったようです。オープン戦でイチロー氏を見た当時ヤクルトスワローズの監督であった野村克也氏は後の著書で新人時代のイチロー氏のことを「後光が差していた」と述べ、チームのスカウトになぜ指名しなかったのかと問いただしたとのことです。

     

     但しこの頃はまだまだ線が細く、体力面ではプロとしてはまだまだだったようです。しかし2軍では高卒でいきなり首位打者を獲得する活躍を見せ、フレッシュオールスターゲームではMVPを獲得するなどその後の飛躍を予感させる活躍をみせていました。高卒1年目で1軍にも昇格しましたがこの頃はまだまだ1軍に定着とはいかない状況でした。この頃に1軍打撃コーチからは俊足を生かしてゴロを打つ打法に改めるように指導を受けていたようです。

     

     そして2年目になると、俊足巧打の期待の新星としてキャンプ中のスポーツ紙にもその名前が上がるようになります。オープン戦の活躍で開幕1軍を勝ち取り、開幕戦にスタメン出場。そしてその年の6月12日にあの野茂英雄氏からプロ入り初本塁打をマークしました。しかし、2軍では圧倒的な成績を残すものの1軍でやっていくにはまだまだ体力が不足していたようです。1軍では成績を残すことはできず結局シーズンを通して1軍に定着することはできませんでした。

     

     この頃に当時の監督であった土井正三氏との確執があったとされていますが、後年イチロー氏はこれを否定しています。しかしその当時の1軍打撃コーチとは意見の対立はあったようです。その独特なボールに向かっていくような打撃フォームを俊足を生かすため叩きつけるバッティングに修正するよう指導されていたようです。その当時のオリックスの外野陣は層が厚く中々その中に食い込むことは難しかったとは思います。結果を残せず2軍に再び戻ったイチロー氏はその当時の2軍打撃コーチの河村健一郎氏と二人三脚でのちの代名詞となる「振り子打法」を秋のキャンプで作り上げます。

     

     そしてハワイのウインターリーグに派遣されてMVPを獲得する活躍を見せます。そしてこの年限りで土井氏が監督を退任、新監督として仰木彬氏が就任することになりました。イチロー氏は就任が決まりハワイのウインターリーグを視察に来ていた仰木氏と運命の出会いを果たすこととなるのです。その時の印象をイチロー氏はこう述べています。白いエナメルの靴に白いパンツ、白いベルトにゴールドのサングラスのいで立ち。レジの前では1センチぐらいの厚みのあるドルの札束を落っことす。仰木氏を初めて見て最初はすごく驚いたとのことです。その当時20歳となったばかりのイチロー氏にとって豪快さで知られる仰木氏はものすごいインパクトがあったと思います。

     

     まだこの頃は、体力的にまだまだといったところで1軍での継続的な活躍は難しかったのが現実だったと思います。イチロー氏にとってはその後の活躍の為にじっくりと地力をつけていく時期だったと思います。当時期待の若手の一人という扱いで将来を嘱望されていたのは間違いないところですが、このまだまだ幼さの残る線の細い外野手がその後世間の注目を一身に浴びる存在になるとは誰も予想できなかったと思います。そして1993年のシーズン、仰木氏の元で大きな飛躍を遂げることとなるのです。

     


     

     今回はイチロー氏の1年目と2年目を振り返りました。そして次回は鈴木一朗氏が「イチロー」として大きく羽ばたいていくことになる3年目のシーズンからとなります。それでは今回の記事はここまでと致します。

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