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イチロー氏を振り返る  震災を乗り越えて 初優勝そして日本一へ

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    JUGEMテーマ:プロ野球全般

     

     今回はイチロー氏の1995年と1996年シーズンを振り返っていきます。前年の空前絶後の大活躍から更なる飛躍を目指すイチロー氏は年明け間もなくの時期に思わぬ事態に見舞われることとなります。

     

              

     1995年1月17日の5時46分52秒、兵庫県南部は突然の大きな揺れに見舞われました。淡路島北部を震源としたマグニチュード7.3の大地震が発生し、すぐ間近の神戸市も甚大な被害に見舞われました。イチロー氏が当時いたオリックスブルーウェーブの合宿所である青濤館も大きな揺れに襲われました。後に阪神・淡路大震災と呼ばれるこの地震で美しかった神戸市の中心部は建物が崩れたり、地震後発生した火災で焼け野原となったりで見るも無残な姿と化してしまったのです。

     

     一部の選手も被災しており、間近に迫ったキャンプインも選手全員が揃って迎えられるかどうか難しい状況で、なによりも本拠地である神戸がこの状況で野球をやっていていいのか、果たしてこのような状況で観客に見に来てもらえるのかといった様々な懸念がある中、球団は神戸で当初のスケジュール通り開催することを決め、市民球団としてこういう時こそ頑張らなければならないと決意を固めたのです。

     

     こうしてオリックスブルーウェーブと神戸市民にとって忘れられないシーズンが始まりました。ユニフォームの袖につけられた「頑張ろうKOBE」を合言葉に臨んだ開幕戦には3万人のファンが詰めかけ、開幕戦を見事勝利します。イチロー氏は開幕当初は2番打者として起用されていましたが、調子がなかなか上がらず4月下旬に昨季と同じ1番打者に戻されます。そして、それから徐々に調子が上がってくると、チームも上昇気流に乗って勝ち星を増やし始めます。

     

     震災で傷ついた神戸市民を励ますために奮起するチームは、勢いに乗り6月には首位に躍り出て一気に独走状態となります。その中心にいたのがイチロー氏で、この年はイチロー氏は3割をはるかに超える打率で打率首位を独走していましたが、それだけでなく本塁打も量産し、打点もそれに伴い増加。盗塁数もトップに立つなど打撃部門4冠王を達成するのではないかというまさに大車輪の活躍を見せます。

     

     この年のオリックスは、投手陣は星野伸之氏・野田浩司氏・長谷川滋利氏の強力な先発3本柱に大ベテランの佐藤義則氏も健在。2年目の平井正史氏がクローザーとして大ブレイクし、そこにつなぐ強力な中継ぎ陣を擁していました。打撃陣はイチロー氏が突出していましたが、監督の仰木氏が相手のデータに基づいた100通りを超える日替わりオーダーを組み、選手もよくそれに応えるなど「仰木マジック」も冴えを見せます。

     

     

     神がかり的な快進撃を続けるチームは7月下旬に早くも優勝マジックを点灯させ、優勝へとまっしぐらに進んでいきます。悲願の本拠地での胴上げはならなかったものの独走状態のまま、9月19日にオリックスブルーウェーブとしては初めてのリーグ優勝を決めました。日本シリーズは野村克也氏が率いるヤクルトスワローズ相手に1勝4敗で敗れ去り日本一はならなかったものの、球団と神戸市民にとって忘れられないシーズンとなりました。

     

     イチロー氏は打率.342・25本塁打・80打点・49盗塁・179安打・出塁率.432で本塁打王こそ逃したものの首位打者・打点王・盗塁王・最高出塁率・最多安打の打撃部門5冠を獲得し、2年連続のシーズンMVP・ベストナイン・ゴールデングラブ賞・正力松太郎賞を獲得する大活躍でした。イチロー氏はチームとともに震災から復興を目指す神戸市民の大きな希望の星となったのです。こうして1995年のシーズンは幕を閉じるのです。

     

     そして1996年となり昨季逃した日本一を目指した戦いが始まります。シーズン開幕から1番打者として固定されていました。イチロー氏はまずまずの調子でしたが、その後の打者の不調もありラインナップを固定できず得点力につながりません。チームも2位はキープするものの首位を走る日本ハムに徐々に引き離され前半戦を5ゲーム差で折り返します。

     

     この年のオールスターゲームも当然の如くファン投票で最多得票を集めて出場を果たします。第1戦では先頭打者本塁打を放つ活躍を見せると、第2戦にある事件が起きます。パが7-3でリードしていた9回表の2死、松井秀喜氏の打席というところでパの監督を務めていた仰木氏がライトを守っていたイチロー氏を呼び寄せ何と投手として登板させます。セを率いていた野村克也氏はこれを見て代打に高津臣吾氏を送り、イチロー氏と松井秀喜氏の夢の対決は幻となりました。この件に関してはファンの間でも賛否が分かれるところですが、個人的には見てみたかったような気がします。

     

     そして後半戦へと入りますが、後半から仰木氏はイチロー氏を3番打者に固定することを決断します。代わりの1番に田口壮氏(現オリックスバファローズ1軍野手総合兼打撃コーチ)が入り、2番はこの年から移籍してきた大島公一氏。3番イチロー氏で4番に来日2年目で徐々に本領発揮し始めていたトロイ・ニール氏を配置する新打線が後半戦の起爆材となり、オリックスは一気に上り調子となります。8月に15勝7敗2分と大きく勝ち越し、徐々に失速してきた首位の日本ハムを再び捕えます。イチロー氏は月間打率.475をマークし、月間48安打のプロ野球新記録を樹立するなど絶好調でチームを牽引します。

     

     そして、更に勢いに乗るチームは9月に日本ハムを抜き去り首位に立ちます。そしてマジック1で迎えた神戸グリーンスタジアムでの日本ハム戦、追いつ追われつの好ゲームとなりましたが延長10回裏2死1塁でバッターはイチロー氏。外角高めの球を思いっきり叩いた打球は左翼線への痛烈な当たりとなり、レフトの打球処理のもたつきもあり1塁ランナーの大島氏が一気にホームインしてサヨナラ勝ちという劇的な形で優勝を決めました。2連覇、そして昨季は果たせなかった神戸での胴上げを見事に成し遂げ、日本シリーズへと駒を進めます。

     

     日本シリーズでは「メークドラマ」を実現し、大逆転でセ・リーグを制した読売ジャイアンツが相手となりました。イチロー氏と松井秀喜氏という当時の若きトッププレイヤーの対決が注目されました。第1戦の接戦をイチロー氏の延長10回表の決勝ホームランで制したオリックスは、仰木氏の采配の冴えもあり開幕3連勝で日本一に王手をかけます。4戦目は巨人が意地を見せて1勝を返しますが、第5戦を見事に勝利して神戸のファンの前でオリックスブルーウェーブとしては初めてとなる日本一を決めました。

     

     この年のイチロー氏は打率.356・16本塁打・84打点・35盗塁・193安打。3年連続となる首位打者と最高出塁率、最多安打を獲得。3年連続のシーズンMVPとベストナイン・ゴールデングラブ賞も受賞。猛打賞26回と1試合4安打を8回のシーズンプロ野球記録を樹立する活躍ぶりでした。チームもこの年球団史上最多の179万6000人もの観客動員数を記録し、イチローブームも一つのピークを迎えます。

     

     こうして、名実ともに日本プロ野球のトップとなったイチロー氏ですが、この当時のことをイチロー氏は後に自分自身の打撃について苦悩していた時期だと振り返っています。周りからは天才ともてはやされ賞賛される一方で、打撃に関しては確固たる答えを見いだせず結果は出ていても悩みは尽きない時期だったということです。そして、この後もこの周囲とのギャップ苦しむこととなります。また有名税ともいえる様々なこともイチロー氏を苦しめることとなるのです。

     

     次回は1997年からNPB時代の最後のシーズンとなった2000年のシーズンまでを振り返る予定です。今回の記事はここまでと致します

     

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