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イチロー氏を振り返るぁゞ貲困了期と打撃開眼

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    JUGEMテーマ:プロ野球全般

     

     今回はイチロー氏のNPB時代の後半となる1997年から1999年を振り返っていきたいと思います。日本一を達成し、人気・実力共にNPBの頂点に立ったイチロー氏ですが、ここからトッププレーヤーならではの苦悩と日々高まるMLBへの思いに葛藤します。

     

              

     まずは日本一となった翌年1997年のシーズンです。この年後の最強と呼ばれたの外野陣の一角を占めた谷佳知氏ら有力新人選手が入団してきました。そして先発の一角である長谷川滋利氏がMLBのロサンゼルス・エンゼルスに移籍しました。チームとしては連覇を達成したメンバーから丁度世代交代の時期に差し掛かる頃となっていました。

     

     4月・5月は5割前後の勝率で推移したオリックスブルーウェーブでしたが、6月に大きく勝ち越して首位に躍り出ます。イチロー氏も216打席連続無三振の日本プロ野球記録を樹立するといった出来事がありました。打率もリーグトップでもはや定位置と言える首位打者の座を独走していました。しかし、この頃とある雑誌に「イチロー日記」と題した記事が掲載され、その内容が物議を醸しだすこととなります。この内容についてはイチロー氏は与り知らぬところであり、イチロー氏のマスコミに対しての姿勢に大きな影響を与える出来事となりました。

     

     ペナントレースは西武ライオンズとの一騎打ちとなりましたが、8月に入りオリックスは失速し西武に徐々に引き離され優勝を逃して連覇は途切れてしまいます。イチロー氏自身は打率.345・17本塁打・91打点・39盗塁・185安打で4年連続の首位打者と最多安打を獲得しベストナインとゴールデングラブ賞も4年連続で獲得するなど活躍したシーズンでしたが、この頃から徐々に観客動員数も減少していきます。

     

     1998年に入ると世代交代のチーム方針からベテランが移籍し、若返りを図るシーズンとなりましたが開幕で大きく躓き最下位に低迷します。イチロー自身はこの年も首位打者に君臨する高打率を維持して奮闘しますが、チームはなかなか浮上のきっかけをつかめずにいました。8月に首位を独走していた日本ハムファイターズが大失速し、優勝争いは混沌としてくるとオリックスも徐々に優勝争いのグループとの差を詰めていきます。

     

     最終的には西武が優勝し、オリックスはダイエーホークスと同率の3位となりAクラスを死守。しかしシーズンのほとんどで優勝争いに絡めない厳しいシーズンとなりました。イチロー氏は打率.358・13本塁打・71打点・11盗塁・181安打で日本記録となる5年連続の首位打者と最多安打、ベストナインとゴールデングラブ賞を獲得。しかし、チームの低迷もあって連覇時は大勢詰めかけていた観客も減少していき元の寂しい状況となっていきます。そして、この年の秋のドラフト会議を巡る出来事で、イチロー氏を見出したスカウトでプロ入り時の恩人で慕っていた三輪田勝利氏の自殺というショッキングな出来事が起きてしまいます。

     

     1999年春、チームはMLB移籍を熱望するイチロー氏を星野伸之氏や戎信行氏と共に当時提携していたシアトル・マリナーズのスプリングトレーニングに派遣しました。途中食当たりによるアクシデントはあったもののメジャーのキャンプを満喫したイチロー氏はMLBへの憧れを更に強くします。

     

     開幕してからはここ数年抱えていた打撃面での苦悩の影響で不振でしたが、イチロー氏の後のインタビューでこのシーズンの4月11日の第5打席の時に「自分の打撃が開眼した」と述べた出来事があり、それ以降ぐんぐんと調子を上げていきます。チームは開幕ダッシュに失敗し、厳しいシーズンとなりました。このシーズンもこの年優勝したダイエーに肉薄することが出来ずAクラス争いするのがやっとといった状況でした。

     

     この年には、西武の大物ルーキーの松坂大輔との対戦もあり、初対決は3打席連続三振を食らいます。しかし、7月6日の試合では通算100号本塁打を松坂投手から放ちました。前後しますが4月20日にはNPB最速となる通算1000安打を本塁打で達成しました。首位打者を独走し、1995年以来のペースで本塁打を量産するなど活躍を見せていましたが、8月24日の日本ハム戦で死球を右手首に受けて負傷。右手首の微細骨折で残りシーズンを欠場し、連続出場記録は763試合でストップします。チームは3位で何とかAクラスは確保しました。最終的には打率.343・21本塁打・68打点・12盗塁・141安打で6年連続の首位打者を獲得。最多安打は逃しましたが出塁率.412で最高出塁率を3年ぶりに獲得し、ベストナインとゴールデングラブ賞も獲得しました。

     

     この年のオフにポスティングシステムによるMLB移籍を球団に希望しましたが球団の返事はノーでMLB移籍は実現しませんでした。この頃のイチロー氏は活躍を見せてもそれが当たり前といった受け止められ方をする周囲の目や、有名人故のプライベートでの息苦しさ、弱体化するチーム、年々減っていく観客の数、更に死球禍と球場の内外で様々な悩みを抱えていたような気がします。私もこのイチロー氏の姿を見ていて、NPBでずっとプレーしてほしいとは思いつつも、イチロー氏のことを思うと早くMLBに移籍したほうがいいのではと思うようになっていました。NPB史上でも最高の選手がプレーする環境としてはあまりに気の毒な当時の状況であったように個人的には思っていました。

     

     プライベートではこの年の12月に交際していた福島弓子さん(当時)とハワイで電撃挙式をあげ結婚しました。そして2000年を迎えるわけですが、イチロー氏にとって大きな転機となる出来事がこの年に起きることとなります。続きは次回の記事で今回はこのあたりで記事を終えたいと思います。

     

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